震災後は生活が一変するということ

地震は、規模が大きいと広域に甚大な被害をもたらす可能性のある災害です。すでに幾度も、日本は大規模な地震を経験し、その都度復興してきました。災害を重ねるたびに経験を重ね、どうすればひとりでも多くの人が生き残れるか、どうすれば万全な防災対策ができるのか、ということを積み重ねてきました。それは、「今」だから言えることで、その時々の被災者は一瞬にして一変した周囲の状況に戸惑いながら、疲弊しながらも試行錯誤を繰り返して、災害を乗り越えてきました。
それまで当たり前だったことは一変し、見慣れた街は瓦礫の山になり、見知った人が犠牲になり、家族が散り散りになりました。「日常」というものが一気に崩れ去り、先の見えない被災生活が始まります。そのことをいくら嘆いても、状況は変わりませんし、助けを求めたくても、周囲の方々はみんな同じ状況におかれています。
どれだけ防犯グッズを揃えても、どれだけ避難訓練を重ねても、実際に被災しなければわからないことです。朝起きてから寝るまで、状況は変わらず、被害状況の深刻さが明らかになるにつれて、気持ちは沈みます。いつも暮らしていた場所を離れなければいけなくなる可能性もあります。肉親や友人を失う可能性もあります。そんな事態に対して、決して「心構え」などは持てないのです。
震災は自然災害です。誰も止められませんし、誰も引き起こせません。そしてだれも予知できません。つまり、だれの責任でもないのです。自然の鳴動にただ従うしかなく、ただその状況をどう乗り越えるのか、ということを考えなければいけません。
物理的な復興には時間がかかるにしても、まずは気持ちを「がんばろう」という前向きなところに剥けなければ、何も始められません。
日本では、地震災害を避けることはできません。この先も大きな地震が発生する確率は高いとされています。その中で何を考えるか、一日一日をどう過ごせるか、そして災害が発生したあとに、自分は何が出来るのかを少しずつでもいいですから考えてみてほしいのです。
犠牲になってしまうか、生き残るかの差は些細なものです。それは「運」としかいえないかもしれません。いつ、誰が、どこで被災者になるかわからない状態なのです。
地震災害は、他人事ではありません。少しずつでも、災害に備えた準備をしておくにこしたことはないのです。そしてモラルを保つことを忘れずに、日々を暮らしていきたいものです。